中高帽を冠《かぶ》って、長途の旅行に疲れたという風であった。
芳子はその日医師へ行っていた。三日程前から風邪《かぜ》を引いて、熱が少しあった。頭痛がすると言っていた。間もなく帰って来たが、裏口から何の気なしに入ると、細君が、「芳子さん、芳子さん、大変よ、お父さんが来てよ」
「お父さん」
と芳子もさすがにはっとした。
そのまま二階に上ったが下りて来ない。
奥で、「芳子は?」と呼ぶので、細君が下から呼んでみたが返事がない。登って行って見ると、芳子は机の上に打伏《うつぶ》している。
「芳子さん」
返事が無い。
傍に行って又呼ぶと、芳子は青い神経性の顔を擡《もた》げた。
「奥で呼んでいますよ」
「でもね、奥さん、私はどうして父に逢《あ》われるでしょう」
泣いているのだ。
「だッて、父様に久し振じゃありませんか。どうせ逢わないわけには行かんのですもの。何アにそんな心配をすることはありませんよ、大丈夫ですよ」
「だッて、奥さん」
「本当に大丈夫ですから、しっかりなさいよ、よくあなたの心を父様にお話しなさいよ。本当に大丈夫ですよ」
芳子は遂に父親の前に出た。鬚《ひげ》多く、威厳のある
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