いた。二年、三年、男が同志社を卒業するまでは、たまさかの雁《かり》の音信《おとずれ》をたよりに、一心不乱に勉強しなければならぬと思った。で、午後からは、以前の如く麹町《こうじまち》の某英学塾に通い、時雄も小石川の社に通った。
時雄は夜などおりおり芳子を自分の書斎に呼んで、文学の話、小説の話、それから恋の話をすることがある。そして芳子の為めにその将来の注意を与えた。その時の態度は公平で、率直で、同情に富んでいて、決して泥酔して厠《かわや》に寝たり、地上に横たわったりした人とは思われない。さればと言って、時雄はわざとそういう態度にするのではない、女に対《むか》っている刹那《せつな》――その愛した女の歓心を得るには、いかなる犠牲も甚だ高価に過ぎなかった。
で、芳子は師を信頼した。時期が来て、父母にこの恋を告ぐる時、旧思想と新思想と衝突するようなことがあっても、この恵深い師の承認を得さえすればそれで沢山だとまで思った。
九月は十月になった。さびしい風が裏の森を鳴らして、空の色は深く碧《あお》く、日の光は透通《すきとお》った空気に射渡《さしわた》って、夕の影が濃くあたりを隈《くま》どるよう
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