ら丈《たけ》の高い庇髪《ひさしがみ》の美しい姿がすっと入って来たが、
「あら、まア、先生!」
と声を立てた。その声には驚愕《おどろき》と当惑の調子が十分に籠《こも》っていた。
「大変遅くなって……」と言って、座敷と居間との間の閾《しきい》の処に来て、半ば坐って、ちらりと電光のように時雄の顔色《かおつき》を窺《うかが》ったが、すぐ紫の袱紗《ふくさ》に何か包んだものを出して、黙って姉の方に押遣《おしや》った。
「何ですか……お土産《みやげ》? いつもお気の毒ね?」
「いいえ、私も召上るんですもの」
と芳子は快活に言った。そして次の間へ行こうとしたのを、無理に洋燈《ランプ》の明るい眩《まぶ》しい居間の一隅《かたすみ》に坐らせた。美しい姿、当世流の庇髪《ひさしがみ》、派手なネルにオリイヴ色の夏帯を形よく緊《し》めて、少し斜《はす》に坐った艶やかさ。時雄はその姿と相対して、一種|状《じょう》すべからざる満足を胸に感じ、今までの煩悶《はんもん》と苦痛とを半ば忘れて了った。有力な敵があっても、その恋人をだに占領すれば、それで心の安まるのは恋する者の常態である。
「大変に遅くなって了って……」
前へ
次へ
全105ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング