厠《かわや》の中に入ろうとした。細君は慌《あわ》てて、
「貴郎《あなた》、貴郎、酔っぱらってはいやですよ。そこは手水場《ちょうずば》ですよ」
突如《いきなり》蒲団を後から引いたので、蒲団は厠の入口で細君の手に残った。時雄はふらふらと危く小便をしていたが、それがすむと、突如《いきなり》※[#「革+堂」、第3水準1−93−80]《どう》と厠の中に横に寝てしまった。細君が汚《きたな》がって頻《しき》りに揺《ゆす》ったり何かしたが、時雄は動こうとも立とうとも為ない。そうかと云って眠ったのではなく、赤土のような顔に大きい鋭い目を明《あ》いて、戸外《おもて》に降り頻《しき》る雨をじっと見ていた。
四
時雄は例刻をてくてくと牛込矢来町の自宅に帰って来た。
渠《かれ》は三日間、その苦悶《くもん》と戦った。渠は性として惑溺《わくでき》することが出来ぬ或る一種の力を有《も》っている。この力の為めに支配されるのを常に口惜しく思っているのではあるが、それでもいつか負けて了《しま》う。征服されて了う。これが為め渠はいつも運命の圏外に立って苦しい味を嘗《な》めさせられるが、世間からは正し
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