《おい》て敢《あえ》て躊躇《ちゅうちょ》するところは無い筈《はず》だ。けれどその愛する女弟子、淋《さび》しい生活に美しい色彩を添え、限りなき力を添えてくれた芳子を、突然人の奪い去るに任すに忍びようか。機会を二度まで攫むことは躊躇したが、三度来る機会、四度来る機会を待って、新《あらた》なる運命と新なる生活を作りたいとはかれの心の底の底の微《かす》かなる願であった。時雄は悶えた、思い乱れた。妬《ねた》みと惜しみと悔恨《くやみ》との念が一緒になって旋風のように頭脳《あたま》の中を回転した。師としての道義の念もこれに交って、益※[#二の字点、1−2−22]《ますます》炎を熾《さか》んにした。わが愛する女の幸福の為めという犠牲の念も加わった。で、夕暮の膳《ぜん》の上の酒は夥《おびただ》しく量を加えて、泥鴨《あひる》の如《ごと》く酔って寝た。
あくる日は日曜日の雨、裏の森にざんざん降って、時雄の為めには一倍に侘《わび》しい。欅《けやき》の古樹に降りかかる雨の脚《あし》、それが実に長く、限りない空から限りなく降っているとしか思われない。時雄は読書する勇気も無い、筆を執る勇気もない。もう秋で冷々《ひ
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