おらぬが、将来は如何《いか》にしてもこの恋を遂げたいとの切なる願望《ねがい》。時雄は芳子の師として、この恋の証人として一面|月下氷人《げっかひょうじん》の役目を余儀なくさせられたのであった。
芳子の恋人は同志社の学生、神戸教会の秀才、田中秀夫、年二十一。
芳子は師の前にその恋の神聖なるを神懸けて誓った。故郷の親達は、学生の身で、ひそかに男と嵯峨に遊んだのは、既にその精神の堕落であると云ったが、決してそんな汚《けが》れた行為はない。互に恋を自覚したのは、寧《むし》ろ京都で別れてからで、東京に帰って来てみると、男から熱烈なる手紙が来ていた。それで始めて将来の約束をしたような次第で、決して罪を犯したようなことは無いと女は涙を流して言った。時雄は胸に至大の犠牲を感じながらも、その二人の所謂《いわゆる》神聖なる恋の為めに力を尽すべく余儀なくされた。
時雄は悶《もだ》えざるを得なかった。わが愛するものを奪われたということは甚《はなは》だしくその心を暗くした。元より進んでその女弟子を自分の恋人にする考は無い。そういう明らかな定った考があれば前に既に二度までも近寄って来た機会を攫《つか》むに於
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