た。
「今夜は大変|綺麗《きれい》にしてますね?」
 男は態《わざ》と軽く出た。
「え、先程、湯に入りましたのよ」
「大変に白粉が白いから」
「あらまア先生!」と言って、笑って体を斜《はす》に嬌態《きょうたい》を呈した。
 時雄はすぐ帰った。まア好いでしょうと芳子はたって留めたが、どうしても帰ると言うので、名残《なごり》惜しげに月の夜を其処《そこ》まで送って来た。その白い顔には確かにある深い神秘が籠《こ》められてあった。
 四月に入ってから、芳子は多病で蒼白《あおじろ》い顔をして神経過敏に陥っていた。シュウソカリを余程多量に服してもどうも眠られぬとて困っていた。絶えざる欲望と生殖の力とは年頃の女を誘うのに躊躇《ちゅうちょ》しない。芳子は多く薬に親しんでいた。
 四月末に帰国、九月に上京、そして今回《こんど》の事件が起った。
 今回の事件とは他《ほか》でも無い。芳子は恋人を得た。そして上京の途次、恋人と相携えて京都|嵯峨《さが》に遊んだ。その遊んだ二日の日数が出発と着京との時日に符合せぬので、東京と備中との間に手紙の往復があって、詰問した結果は恋愛、神聖なる恋愛、二人は決して罪を犯しては
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