ょく》は次第に悪くなった。限りなき笑声の中に限りなき不安の情が充ち渡った。妻の里方の親戚《しんせき》間などには現に一問題として講究されつつあることを知った。
 時雄は種々《いろいろ》に煩悶した後、細君の姉の家――軍人の未亡人で恩給と裁縫とで暮している姉の家に寄寓させて、其処《そこ》から麹町《こうじまち》の某|女塾《じょじゅく》に通学させることにした。

        三

 それから今回の事件まで一年半の年月が経過した。
 その間二度芳子は故郷を省《せい》した。短篇小説を五種、長篇小説を一種、その他美文、新体詩を数十篇作った。某女塾では英語は優等の出来で、時雄の選択で、ツルゲネーフの全集を丸善から買った。初めは、暑中休暇に帰省、二度目は、神経衰弱で、時々|癪《しゃく》のような痙攣《けいれん》を起すので、暫《しば》し故山の静かな処に帰って休養する方が好いという医師の勧めに従ったのである。
 その寓していた家は麹町の土手三番町、甲武《こうぶ》の電車の通る土手際《どてぎわ》で、芳子の書斎はその家での客座敷、八畳の一間、前に往来の頻繁《ひんぱん》な道路があって、がやがやと往来の人やら子供やら
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