のれん》が涼しそうに夕風に靡《なび》く。時雄はこの夏の夜景を朧《おぼろ》げに眼には見ながら、電信柱に突当って倒れそうにしたり、浅い溝《みぞ》に落ちて膝頭《ひざがしら》をついたり、職工|体《てい》の男に、「酔漢奴《よっぱらいめ》! しっかり歩け!」と罵《ののし》られたりした。急に自ら思いついたらしく、坂の上から右に折れて、市ヶ谷八幡の境内へと入った。境内には人の影もなく寂寞《ひっそり》としていた。大きい古い欅《けやき》の樹と松の樹とが蔽い冠さって、左の隅《すみ》に珊瑚樹《さんごじゅ》の大きいのが繁《しげ》っていた。処々の常夜燈はそろそろ光を放ち始めた。時雄はいかにしても苦しいので、突如《いきなり》その珊瑚樹の蔭に身を躱《かく》して、その根本の地上に身を横《よこた》えた。興奮した心の状態、奔放な情と悲哀の快感とは、極端までその力を発展して、一方痛切に嫉妬《しっと》の念に駆《か》られながら、一方冷淡に自己の状態を客観した。
初めて恋するような熱烈な情は無論なかった。盲目にその運命に従うと謂《い》うよりは、寧《むし》ろ冷《ひやや》かにその運命を批判した。熱い主観の情と冷めたい客観の批判とが絡《よ》り合せた糸のように固く結び着けられて、一種異様の心の状態を呈した。
悲しい、実に痛切に悲しい。この悲哀は華《はな》やかな青春の悲哀でもなく、単に男女の恋の上の悲哀でもなく、人生の最奥《さいおう》に秘《ひそ》んでいるある大きな悲哀だ。行く水の流、咲く花の凋落《ちょうらく》、この自然の底に蟠《わだかま》れる抵抗すべからざる力に触れては、人間ほど儚《はかな》い情《なさけ》ないものはない。
汪然《おうぜん》として涙は時雄の鬚面《ひげづら》を伝った。
ふとある事が胸に上《のぼ》った。時雄は立上って歩き出した。もう全く夜になった。境内の処々に立てられた硝子燈《ガラスとう》は光を放って、その表面の常夜燈という三字がはっきり見える。この常夜燈という三字、これを見てかれは胸を衝《つ》いた。この三字をかれは曽《かつ》て深い懊悩《おうのう》を以て見たことは無いだろうか。今の細君が大きい桃割《ももわれ》に結って、このすぐ下の家に娘で居た時、渠《かれ》はその微《かす》かな琴の音《ね》の髣髴《ほうふつ》をだに得たいと思ってよくこの八幡の高台に登った。かの女を得なければ寧《いっ》そ南洋の植民地に漂泊しよ
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