《おい》て敢《あえ》て躊躇《ちゅうちょ》するところは無い筈《はず》だ。けれどその愛する女弟子、淋《さび》しい生活に美しい色彩を添え、限りなき力を添えてくれた芳子を、突然人の奪い去るに任すに忍びようか。機会を二度まで攫むことは躊躇したが、三度来る機会、四度来る機会を待って、新《あらた》なる運命と新なる生活を作りたいとはかれの心の底の底の微《かす》かなる願であった。時雄は悶えた、思い乱れた。妬《ねた》みと惜しみと悔恨《くやみ》との念が一緒になって旋風のように頭脳《あたま》の中を回転した。師としての道義の念もこれに交って、益※[#二の字点、1−2−22]《ますます》炎を熾《さか》んにした。わが愛する女の幸福の為めという犠牲の念も加わった。で、夕暮の膳《ぜん》の上の酒は夥《おびただ》しく量を加えて、泥鴨《あひる》の如《ごと》く酔って寝た。
 あくる日は日曜日の雨、裏の森にざんざん降って、時雄の為めには一倍に侘《わび》しい。欅《けやき》の古樹に降りかかる雨の脚《あし》、それが実に長く、限りない空から限りなく降っているとしか思われない。時雄は読書する勇気も無い、筆を執る勇気もない。もう秋で冷々《ひえびえ》と背中の冷たい籐椅子《とういす》に身を横《よこた》えつつ、雨の長い脚を見ながら、今回の事件からその身の半生のことを考えた。かれの経験にはこういう経験が幾度もあった。一歩の相違で運命の唯中に入ることが出来ずに、いつも圏外に立たせられた淋しい苦悶《くもん》、その苦しい味をかれは常に味《あじわ》った。文学の側でもそうだ、社会の側でもそうだ。恋、恋、恋、今になってもこんな消極的な運命に漂わされているかと思うと、その身の意気地なしと運命のつたないことがひしひしと胸に迫った。ツルゲネーフのいわゆる Superfluous man ! だと思って、その主人公の儚《はかな》い一生を胸に繰返した。
 寂寥《さびしさ》に堪えず、午《ひる》から酒を飲むと言出した。細君の支度の為ようが遅いのでぶつぶつ言っていたが、膳に載《の》せられた肴《さかな》がまずいので、遂に癇癪《かんしゃく》を起して、自棄《やけ》に酒を飲んだ。一本、二本と徳利の数は重《かさな》って、時雄は時の間《ま》に泥の如く酔った。細君に対する不平ももう言わなくなった。徳利の酒が無くなると、只、酒、酒と言うばかりだ。そしてこれをぐいぐいと呷《
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