けれどここに倒れるわけにはいかない。死ぬにも隠れ家を求めなければならぬ。そうだ、隠れ家……。どんなところでもいい。静かな処に入って寝たい、休息したい。
 闇《やみ》の路《みち》が長く続く。ところどころに兵士が群れを成している。ふと豊橋《とよはし》の兵営を憶い出した。酒保に行って隠れてよく酒を飲んだ。酒を飲んで、軍曹をなぐって、重営倉に処せられたことがあった。路がいかにも遠い。行っても行っても洋館らしいものが見えぬ。三、四町と言った。三、四町どころか、もう十町も来た。間違ったのかと思って振り返る――兵站部は燈火の光、篝火《かがりび》の光、闇の中を行き違う兵士の黒い群れ、弾薬箱を運ぶかけ声が夜の空気を劈《つんざ》いて響く。
 ここらはもう静かだ。あたりに人の影も見えない。にわかに苦しく胸が迫ってきた。隠れ家がなければ、ここで死ぬのだと思って、がっくり倒れた。けれども不思議にも前のように悲しくもない、思い出もない。空の星の閃《ひらめ》きが眼に入った。首を挙《あ》げてそれとなくあたりを※[#「※」は「目+旬」、第3水準1−88−80、156−3]《みまわ》した。
 今まで見えなかった一棟の洋
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