―そういうものの中に小さくなってぶるぶる顫えているようなかれであった。かれの崇拝した作家は東京の郊外にいて、トタン張の暑い書斉で、大きな作を試みて熱心に筆を執っていた。田舎で想像して出かけて行った心持や希望が逸早く氷のように解けて行って了ったかれを勇吉は歴々とその山路に見た。一年いても何うにもならないので絶えず焦々して神経を昂らせていた彼、持っている思想を紙にのばすことが出来ないで煩悶した彼、美しい女の幻影にあこがれて輾転反側した彼、キラキラする烈しい日光のような刺戟に堪えられずに絶えず眩惑する頭を抱えるようにしていた彼、蒼白い髪の長い顔をして破調の詩に頭を痛めていた彼、下劣な肥った家婢と喧嘩して腹を立ててその頭を撲って怒られた彼、電信柱が人間と同じく動いているような気がして驚いて帰って来た彼、郷里の友達の学校生活を羨しく思って一夜寝られなかった彼、――そういうものは、いつも一人歩いて行く勇吉の道伴になっていた。東京から帰って、腹立ちまぎれに、自暴まぎれに、郷里のある家に火を放けようとして、気違扱いにされて、遠い田舎にやられたことなどもかれは時々思い出した。「何うしてこうだろう。何うし
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