涙ぐましさを感ぜずにはゐられなかつた。お互ひに――本当にお互ひに心をなくさずに持つて来た。そのためにかうした心が開かれた。櫂に砕ける水の音が静かにあたりに響いた。
四
二人はやがて向うの岸に上陸した。
かれ等の眼には荒れ果てた部落――曾てそのベランダに、またはそのバルコニイに、さぞさま/″\の美しい裾《スカート》を曳いたであらうと思はれる二階建の瀟洒な別荘風の建物や、白い赤いペンキ塗りの色の褪せて尖つた教会堂のやうな家屋や、柵のやうにぐるりと取巻いて居る垣の中にすつかり捨て去られた花壇や、硝子張りの所々破れて今は何の花の色彩もなくなつて了つたやうな温室や、さうかと思ふと、白い髯のロシア人がいかにも物淋しげにひとり立つてあたりを眺めてゐる庭などがそれからそれへとあらはれて来た。
「こゝは平生はハルピンでも好い人が住んでゐたところなんですけど、今はすつかりこんな風になつて了つたんです。でも、王党の人はまだこゝに来てかくれてゐるものがあるんださうですよ」時子はこんなことを言ひながら、それでも自分が案内しなければならないといふやうに、そこにゐるロシア人の子供をつかまへ
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