ある僧の奇蹟
田山花袋
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)無住《むぢゆう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)長い間|跪《ひざまづ》いて
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)をさ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
一
久しく無住《むぢゆう》であつたH村の長昌院には、今度新しい住職が出来た。それは何でも二代前の老僧の一番末の弟子で、幼い時は此の寺で育つた人だといふことであつた。「ほ、あのお小僧さんが? それはめづらしいな。」などと村の人達は噂《うはさ》した。
先代の住職が女狂ひをして、成規《せいき》を踏まずに寺の杉林を伐《き》つて売つたりして、そのため寺にもゐられなくなつてから、もう少くとも十二三年の歳月は経過した。始めは一里ほど隔つた法類のT寺がそれを監督したが、そこの和尚《をしやう》も二三年して死んで了《しま》つたので、あとは村の世話人が留守居などを置いて間に合せて来た。寺は唯荒るゝに任せた。
長昌院と言へば、この界隈《かいわい》でもきこえた古い寺である。徳川時代にもいくらか御朱印のついてゐる格式の好い方であつたし、田地も十分についてゐたし、境内も広い広いものであつたし、先々代の老僧などは、駕籠《かご》に乗つて伴廻りを三人も四人も伴《つ》れなければ決して戸外《おもて》には出ないほどであつた。それに古い由緒《ゆゐしよ》が更にこの寺を価値《ねうち》づけた。寺の奥にある大きな五輪塔形の墓、苔《こけ》の深く蒸《む》した墓、それは歴史上にも聞えたこの土地の昔の城主なにがしの遺骸を埋めたところで、戦国時代にあつては、この城主は、この近隣数郡の地を攻略して、後にはその勢威がをさ/\一国を震慴《しんせふ》させたといふことであつた。今でもその住んでゐた城の址《あと》はその村の西の一隅に草藪《くさやぶ》になつて残つてゐるが、半ば開墾されて麦畠、豆畑、桑畑《くはばたけ》になつてゐるが、それでも館《やかた》の址《あと》だけは開墾すると祟《たゝり》があると言つて、誰も鋤《すき》も入れずにそのまゝにして置いた。取巻いた壕《ほり》の跡には、深く篠笹《しのざさ》が繁つて、時には雨後の水が黒く光つて湛《たゝ》へられてゐるのが覗《のぞ》かれた。春はそこから出て野に行く道に、蓮華草《れんげさう》や菫《すみれ》の一面に咲いたところがあつて、村の小娘達はそれを採つては束にして終日長く遊んでゐるのを誰も見懸けた。
梅雨《つゆ》の降頻《ふりしき》る頃には、打渡した水の満ちた田に、菅笠《すげがさ》がいくつとなく並んで、せつせと苗《なへ》を植ゑて行つてゐる百姓達の姿も見えた。かれ等は用水の漲《みなぎ》つて流れる縁を通つて、この昔の館《やかた》の址《あと》の草藪に埋められてある傍を掠《かす》めて、そしていつも揃つて野良の方へと出掛けて行つた。
少くとも、このH村では、半ば野に、半ば丘に凭《よ》つてゐるこのH村では、その城主の館の址と、五百年も前からあつたといふ寺と、その寺に残つてゐる苔蒸《こけむ》した墓と、この三つが、長い「時」の力の中に僅《わづ》かに滅びずに残つているもので、それ以外には何物も昔の跡を語るものはなかつた。寺の大檀越《だいだんをち》で、旧家で、昔は寺の為めに非常に喜捨をしたといふSTといふ家でも、その分家の分家が僅かに小さく残つてゐるばかりで、古い苔蒸した無数の墓の外《ほか》にはその昔の何事をも語らなかつた。唯、雲雀《ひばり》が高く囀《さへづ》つて空に上つた。
今から数年前であつた。ある夏の日の晴れた午後の日影を受けて、此処等にはつひぞ見たことのない新しいパナマ帽を冠つた、絽《ろ》の紋付の羽織にちやんと袴《はかま》を着けたハイカラの若い綺麗な紳士が、銀の環《わ》の光つたステッキをつきながら、村長につれられて夥《おびたゞ》しく荒廃したその無住の寺の山門へと入つて来た。
こんな会話を二人はした。
「えらく荒れてますな!」
「どうも……好い住職がないもんですから……それに、もとの住職が寺の借金を沢山《たくさん》残して行つたもんですから……」
「もう、長くゐないのですか、住職は?」
「八九年になります。」
村長は丁寧な言葉で深く尊敬するやうにして話した。
紳士は庇《ひさし》の落ち、軒の傾き、壁の崩れてゐる本堂の中に下駄のまゝ上つて行つたり、留守居の男の淋しさうに住んでゐる古い庫裡《くり》の方へ行つて見たりした。奥の苔の蒸した五輪形の墓の前に行つた時には、紳士は長い間|跪《ひざまづ》いて手を合せた。
この紳士は今朝突然この村にやつて来た。そして村長の宅《うち》を訪《たづ》ねた。かれは其処から一里に近い田舎町の旅舎《やどや》に昨夜《ゆうべ》わざ/\やつて来て宿を取つてゐたのであるが、その出した名刺を見た村長は、俄《には》かに言葉を丁寧にして、紳士の綺麗な顔を恐る/\見た。名刺には田舎の村長を驚かすに足る官名が書いてあつた。
紳士は寺のことを聞き、墓を聞き、またその昔の館《やかた》の址《あと》を聞いた。今だに壕《ほり》の跡が依然として残つてゐるといふことを村長から聞いた時には、紳士の顔にはある深い感動の表情が上《のぼ》つた。やがて紳士はその墓と館の址とを残して永久に立去つた昔の城主の遠孫であることを村長に話した。村長は愈々《いよ/\》辞を低うした。
「何も他《ほか》には残つてはゐませんかな。」
「何も……旧家といふのも大抵潰れて了《しま》つたものですから……」
「ふむ……」
かう言つたが、「さうすると、その先祖は小田原に亡《ほろぼ》されて、それから、野州に行つて、そこで今の主人を持つたんですな。何でも、野州で今の藩侯の家来になつたのは、こゝに墓のある人の孫に当つてゐるさうですから……」
「さやうで御座いますか。こゝから、お跡が野州に?」
かう村長は別に感動するやうな風もなしに言つた。
紳士は最初に村の西の隅にある館の址に行つた。濠《ほり》、草や笹に埋められた壕、それもかれには非常になつかしさうに見えた。かれはわざ/\草藪をわけて、その小高いところまで入つて行つた。しかし其処には何もなかつた。
「城ツて言つても、その時分は、館《やかた》なのだから――」
こんなことを独言《ひとりごと》のやうに言つた。で、そこを出て、かれは用水縁《ようすゐべり》の路にその都人士らしい姿を見せつゝ寺の方へとやつて来た。途中では、丁度《ちやうど》ひろい庭で麦を打つてゐる百姓達が連枷《からざを》を留めてじろ/\かれの方を見た。
寺にも一時間ほどゐた。留守居の男が赤く濁つた茶などを勧めた。
かれは又|訊《き》いた。
「寺に、先代の弟子と言ふものもなかつたのですか?」
「大勢あつたのですけれども……。それも先々代のですが……。先住《せんぢゆう》にはありませんけれども……。何うも皆な還俗《げんぞく》したり何かして了ひましてな……。しかし、いづれは住職を置かないでは困るんですから、そのうち好いのがあつたらと思つてはをりますのです。無住でおきましたから、もう先住の拵《こしら》へた借金もあら方ぬけました……」
「兎《と》に角《かく》、由緒《ゆゐしよ》のある寺をかうして置くのは惜しい。」
「さやうですとも……」
で、その紳士は多くの布施《ふせ》を置いてそして帰つて行つた。
あとはまた長い月日が経つた。
二
新しく出来た住職は、四十二三位で、延びた五分刈頭、鉄縁《てつぶち》の強度の眼鏡、単衣《ひとへ》にぐる/\巻いたへこ帯、ちよつと見ては何《ど》うしても僧侶とは思へないやうな風采《ふうさい》であつた。
「あれが慈海さんけえ? 何《ど》うしてもさうは思へねえだ。丸で変つちやつたな。何処かの別な人としか思へねえな。あの可愛い小僧さんとは何うしても思へねえ。」昔を知つてゐる年を取つた村の婆さん達はかう言つて噂《うはさ》した。
若い住職に取つても、あたりは余りにひどく変つてゐた。変りすぎてゐた。これが昔のあの寺かと思つた。あの盛《さかん》な立派な堂々とした寺かと思つた。最初来た時には、これが先々代の老僧が威権を振つたあの寺とは何うしてもかれには思へなかつた。数年前に紳士がやつて来た時とは、更に更に寺は荒れた。裏の大きな垂木《たるき》は落ち、壁は崩れて本堂の中は透《す》いて見え、雨は用捨なく天井から板敷の上へと落ちた。仏具なども、金目のものはもう何もなかつた。金の燭台《しよくだい》、鍍《めつき》のキラ/\と日に輝く天蓋、雲竜の見事な彫刻のしてあつた須弥壇《しゆみだん》、さういふものはもう跡も形もなかつた。本尊の如来仏《によらいぶつ》が唯さびしさうに深い塵埃《ほこり》の中に埋められたやうにして端坐してゐるばかりなのをかれは見た。
庫裡《くり》から本堂に通ずる長い廊下は、風雨に晒《さら》されて、昔かれが老僧に叱られながら雑巾《ざふきん》がけをしたところとも思へなかつた。中庭の樹木も唯繁りに繁つた。蜘蛛《くも》の網《す》や塵埃《ほこり》や乞食《こじき》の頭のやうにボサ/\と延びた枝や――その中でも、金目な大きな伽羅《きやら》の丸い樹はいつか持つて行つたと見えて、掘つたあとが大きくそこに残つてゐた。唯、霧島の躑躅《つゝじ》が赤くあたりを絵のやうにした。
年老いた世話人が来てかれにかれの先代――かれの兄弟子の話をした。
あのおとなしい静かな兄弟子が、世話人の話すやうな残忍無恥な、又は貪欲《どんよく》な、又は無残な行為をして、あの老僧の経営した寺をかうした廃寺にして了《しま》はうとはかれは夢にも思はなかつた。世話人の言ふ所に由《よ》ると、この先住の女戒《によかい》を破つた形は殊《こと》に烈《はげ》しかつた。最初の中は此方《こつち》から身を躱《かく》して、こつそりさういふ土地に出かけて行つたが、後には平気で、幅《はゞ》で、女を庫裡《くり》へ伴《つ》れて来ては泊らせてやつた。かれは放蕩《はうたう》のための金がなくなると、仏具を売り、植木を売り、経文を売り、後には僧衣《ころも》や袈裟《けさ》までをも売つた。たうとうそのために問題が大きくなつて、寺にゐられなくなつた。伐採した杉森の跡は、今でもちやんと指点された。
「今は何うしてゐるだらう?」
かう新しい住職はをり/\兄弟子のことを考へた。「何でも、東京に行つてゐるさうです。最後の女と浅草あたりで道具屋か何かしてゐるさうです。」かう世話人は言つた。しかし、それももう八九年も前のことであつた。今は死んだか生きてるかわからなかつた。
兎《と》に角《かく》、庫裡《くり》――二三年前まで留守居の男のゐた庫裡を掃除して、そこに住居《すまひ》することの出来る準備を世話人達がして呉れた。黒く煤《すゝ》けた天井を洗つたり、破れた壁をざつと紙で貼《は》つて膳《つくろ》つたり、囲炉裏《ゐろり》の縁を削つたり、畳を取り替へたりして、世話人達は新しい住職のやつて来るのを待つた。庫裡の前の庭も皆なしてかゝつて綺麗に掃除した。
「長い間、無住にして置いたので、金はいくらかは出来てるだで、二三年したら、本堂の修繕も出来ると思ふが、まア、それまでは我慢してゐて下せい。これも先々代の寺だと思つてな。」かう世話人達は新しい住職に話した。
三
「老僧だツて、決して女戒《によかい》を守つた人ではなかつた。」
かれはかう思はずには居られなかつた。……ふとある光景が浮んで来た。それは新しい住職がまだ此寺に貰はれて来たばかりの時であつた。老僧も六十位であつた。ふと二階へあがつて行く。さつきの女がまだゐる。綺麗な女が……。時々やつて来て三味線なんかを弾《ひ》く女が……。扉《と》を明けると、老僧の赤い顔、太い腕、女の変に笑つた顔!
と、今度はそれとは違つた
次へ
全8ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング