れた日に、かの女はガタ馬車で出かけた。指折り数へて見ると、もう十二三年、それ以上もその故郷に行つて見たことはなかつた。町が近づくにつれてその心は躍《をど》つた。やがて昔馴染《むかしなじみ》の町や人家や半鐘台や小学校があらはれた。やがて馬車の継立場《つぎたてば》に来て下ろされたかの女は、一番先に、その近くにある懇意なある家に寄つて寺のことを訊《き》いた。
噂に聞いたどころではなかつた。それは非常な評判であつた。「生仏《いきぼとけ――」かう言つてその人も話した。
上さんの胸は愈々《いよ/\》躍《をど》つた。何より先に、車をさがした。そしてそこから一里位しかない村へと志した。
上さんは不思議な念に燃えた。数珠《じゆず》を持つてゐたならば、それを繰《く》つて、幼い時に覚えたお経の一節を誦《ず》したいと思ふほどであつた。そしてその渇仰の念に雑つて、昔の幼かつた時分のことが、美しく彩《いろど》られた絵になつて見えた。次第になつかしい村は近づいて来た。
林、それにつゞいた森、その間からは寺の屋根が見える筈であつた。果して少し行くと見え出して来た。その壊れた屋根が、山門が、境内が、例の酒を禁じ
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