は何にもせずに、朝からお経ばかりを読んでゐるのですから……。米を持つて行かなければ行かないで、二日も三日も食はずにゐるやうな坊さんですから……。いゝえ、別に不思議なことをすると言ふのではありません。唯、お経を読んでゐるばかりです。別に説教めいたことは致しません。あゝして托鉢《たくはつ》して歩いてゐるばかりです。」
署長も後には首を傾けずには居られなかつた。
かれのあとについて行く群集は、次第にその数を増した。或は町の角、或は停車場の方へ行く路、或は小学校の裏の畑、或は小川に沿つた道、さういふところを大勢の信者達はかれと同じやうにして合掌読経してついて行つた。ある駅からある駅へと通じてる長い街道には、うらゝかな春の日が照つて、かげろふが静かにその群集の上に靡《なび》いた。
時には今出たばかりの月が、黒いはつきりした林を背景にして、圏《わ》を成して集つてゐる群集と僧とを照した。
十六
この不思議な僧の托鉢の話は、五六里隔つた町に嫁《か》して行つてゐる寺の先々代の娘の許《もと》まできこえた。
娘はもう三十六七の上《かみ》さんであつた。そこは穀物を商《あきな》ふやうな店
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