思ひに満たされた群集の上に、薄暮の色は蒼《あを》く暗く押寄せて来た。

     十三

 不思議な乞食坊主の話は、時の間にそれからそれへと伝へられて行つた。ある者は否定した。ある者は肯定した。
 否定したものは、「今の世に、そんなことがあつて堪《たま》るものか。それは丁度《ちやうど》その女がさうした苦痛を持つてゐたからだ。自分の影だ。自分の影を見て驚いたに過ぎない。」
と言つて笑つた。
「そんなことを言つて、良民を迷はすものは、捨てて置かれない。第一、人の門に立つて乞食をするさへ邪魔なのに、その家の内部まで見透《みす》かしたやうなことを言ひふらすのはけしからん……。警察で取りしまつて貰はなければならん。」
 かう敦圉《いきま》いて言ふものなどもあつた。慈海の生立《おひたち》を知つてゐるものは、「あの坊主、二十年振りで国に帰つて来たが、その間には何をやつて来たかわかりやしない。風説によると、何処にも行きどころがなくなつて、それであの寺に入り込んだつていふ事だ。油断がなりやしない。現に、ちよつと見てもわかる。薄気味のわるい眼をしてゐるぢやないか。」などと言つた。しかし中にはかれの不断の読
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