かつた。かれは凝《ぢつ》と女を見詰めた。
「志ばかりで御座いますから、何うか……」
「これは難有《ありがた》いお志だ。」
 かう言つたきりで、かれの眼から涙がにじみ出さうとした。
 しかしかれは何も言はなかつた。黙つて礼拝《らいはい》合掌した。

     十二

「ヤア、また、あの乞食坊主が何かしてらあ……」
 かう言つて人達は其方《そつち》の方へと走つて行つた。それは町の角である。長い町を通つてこれから寒い風の吹く野に出ようとする角である。通りかゝつた荷車や人足や女子供などが一杯に其処に立留つた。
 深い鬚《ひげ》の中に明るく眼をかゞやかし、破れた僧衣《ころも》に古い袈裟《けさ》をかけ、手に数珠《じゆず》を持つたかれの前には、二十八九になる一目見て此処等に大勢ゐる茶屋女だとわかる女が、眼に涙を一杯に溜めて、そして矢張手を合せて立つてゐた。
「坊主、女でもだましたかな!」
 かうした悪声を放つた人達も、そこに来て、その状態を見ては、思はず不思議な思ひに撲《う》たれた。
 女は合掌して涙を流してゐる。そしてその前にゐる一人の乞食坊主――汚い坊主が神か仏でもあるやうに、それに向つて随喜渇
前へ 次へ
全80ページ中56ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング