であつたかれが、かうして田舎《ゐなか》の廃寺の中にひとり生活してゐるといふことが不思議に思はれた。広い世間にも、かれ程|有為転変《うゐてんぺん》の生活を送つたものはないであらう。また明るい影と暗い影と互に縺《もつ》れ合つた生活をしたものはないであらう。罪悪と慈善との一緒になつた生活をしたものはないであらう。彼の心は時には一人の孤児の為め、一人の飢ゑた者のために振ひ立つた。また或時は欲求した染着《せんちやく》した心の虜《とりこ》となつて、美しいものすぐれたものに向つてその魂を浪費した。かれは本当なもの真剣なものの探検者であつた。本当のものを求めるためにかれは水火の中に入ることをも辞さなかつた。虎穴に向つて突進して行くことをも辞さなかつた。ふとかれは考へた。「かうした今の生活も矢張その探検者の心ではないか。虎穴に向つて突進して行くものの心ではないか。」
 さうだ、それに相違ない。昔は、聖者はあらゆる苦行を行《ぎやう》した。一生を苦行の中《うち》に終つた人達もあつた。婆羅門《ばらもん》の徒の苦行――そこまで考へて行つてかれは思つた。自分のこれまでの生活は、あらゆる苦行ではなかつたか。あらゆる
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