は、田舎ではどうすることも出来ないので、東京へ出かけて行つて、種々《いろ/\》の艱難辛苦を嘗《な》めた挙句、貧民窟《ひんみんくつ》近くに金貸の看板をかゝげて、十年間に巨万の財産を造つた。今では東京に大きな邸宅を構へて、大名のやうな生活をしてゐるといふことであつた。
 これが世の中の変遷である。しかし、さういふことが、さういふ表面の漣《さゞなみ》が、どれだけの意味を持つてゐるのであらうか。かうは思ふものの、かれは時々、「それが人生ではないか。それが本当の人生ではないか。自分のやつて来た生と死、恋愛、個人と自由、さういふことは、余り深く自己に執着しすぎたためではないか。」といふやうにも飜つて考へて見た。
「そんなことはない。」
 かれはすぐかう打消した。
 かれはあらゆる艱難《かんなん》の中をも、巴渦《づまき》の中をも、恐怖の中をも通つて来た。そしてその中からすぐれた真珠の玉のやうな宝をつかんだと思つた。しかし、つかんだと思つたその珠《たま》は、いつの間にかかれの掌中《しやうちゆう》から落ちて行つてゐた。
 かれは時には一里ほどある町の方へと出かけて行つた。麦稈帽《むぎわらばう》をかぶつた
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