して何《ど》んなものであるか、何ういふことであるかを知らなかつた。いろ/\な恐ろしいこと、醜いこと、聞くさへ眉の蹙《ひそ》められるやうなこと、さういふことも、ほんの一時の黒雲の影のやうなもので、その耳目から早く/\通過して行つた。そしてあとには田舎《ゐなか》の平和がいつも残つた。
かれ等の若い者は、婚し、生殖し、生活して、唯年月を経て行くのであつた。かれ等は循環小数のやうに子供から大人になり大人から老人になり老人から墓になつて行くのであつた。春が来て花が咲き、秋が来て紅葉《もみぢ》が色附き、冬は平野をめぐる遠い山の雪が美しく日に光つた。
「何うも今年は雨が少くつて、田植にも困つた。一雨来れば好い。」
かれ等は何百年前から繰返した黴《かび》の生えたやうな言葉をくり返してのんきに生活した。
勿論《もちろん》、その間にも、家々の浮沈がないでもない。それはかなりにある。ある家では息子が放蕩《はうたう》で田地の半《なかば》を失つた。ある家では養蚕に成功して身代がその三倍になつた。ある家では次男息子が学問好きで大学まで行つてこの夏学士になつた。かれの知つてゐる、かれと同じに遊んだ貧乏人の息子
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