れた時には、そこより他《ほか》に、その古い人知らない田舎《ゐなか》の廃寺より他に、自分の身を、体を置くところはないやうにかれは思つた。老師の魂が荒《すさ》んだ自分の魂を救つて呉れるやうにすらかれは思つた。
 かれは尠《すくな》くとも落附いて考へて見なければならないと思つた。これまでに自分のやつて来たことは、すべて皆な失敗に終つた。あらゆる悲喜、あらゆる事業、あらゆる思想、すべて皆な不自然であつた。自由を欲する――唯この一語にすら、かれはあらゆる矛盾と撞着《どうちやく》とを感じた。意志と魂との区別も、もつと深く静かに考へて見なければならなかつた。それには、田舎《ゐなか》の山の中の寺、廃寺、何の束縛もないのが好いと思つた。余りに多く世に染まりすぎた。世間と人間とに捉《とら》はれすぎた。静かに休息させて下さるなら……一二年行つて見たいからといふ手紙をかれは世話人に書いた。
 かれは郊外の或る家に置いた自分の書籍――かれやかれの「群」が一生懸命に読んだ書籍、パンの問題、精神の問題、自由意志の問題、さういふことを書いた沢山の書籍をある日古本屋を呼んで売つた。古本屋は何も知らない半ば老いた男であつ
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