堂の中の荒廃した形をのぞいて見る元気も何もなかつた。昨年のあの時から習癖になつた恐怖――いつ襲つて来るか知れない災厄の恐怖がかれを少からず不安にした。かれは急いで庫裡《くり》の方へと引返した。

     四

 自分ももう少しであの「恐ろしい群」の一人になるところではなかつたか。あの時もし東京にゐたならば――。
 外国でなければ見ることの出来ないやうな事件、乃至《ないし》は空想したロオマンスででもなければ出逢ふことの出来ないやうな事件、かれ等は皆な獣のやうに一人々々引き出されて、断罪の場にひかれて行つたのであつた。
 意志の実行――意志の実行のために虐《しへた》げられた人間の魂ではなかつたか。あらゆることを実行しても差支ない。世に罪悪と言ふものはない。悪と言ふものはない。唯自由があるばかりである。責任を負ひさへすれば――。かう言つたが、その責任が即《すなは》ちかれ等の死ではなかつたか。
 その意志の実行は、果して死を価値してゐたか否か。飜《ひるがへ》つて考へて見なければならない余地はないか否か。かれ等は少くとも犬死ではなかつた。すぐれた芽《め》を蒔《ま》いたには相違なかつた。しかしそ
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