きながら、鐘楼から、昔賑かであつた不動堂の方へと足を運んだ。そこでは不動堂の他《ほか》にかれは残る何物をも発見することが出来なかつた。門前町と言ふほどではないが、一時は両側に人家が並んで、参詣者《さんけいしや》がかなり遠い処からやつて来た。やれ護摩《ごま》をたけの、やれ蝋燭《らふそく》を呉れのと言つて、かれも慈雲も忙しい思ひをした。しかもその人家は「時」の大きな手にすつかり掃《はら》つて取去られて了つたかのやうに一軒もそこに見出されなかつた。すつかり桑畠《くはばたけ》と野菜畑とになつてゐた。何う考へて見ても、其処にあの遊蕩《いうたう》の気分が渦巻《うづま》き、三味線の音が聞え、赤い裾《すそ》をチラホラさせた色の白い女達が往来し、老僧は老僧で、同じ年恰好《としかつかう》の世話人と一緒にあの湯屋の二階の女を傍《かたはら》に終日碁を打つてゐたとは思へなかつた。かれは不思議な気がした。瞬間も「址《あと》」をつくらずに置かない「時」が恐ろしいやうな気がした。そしてその「址」が唯だ「址」として埋められては了はずに、いつかそれの再び蘇《とみがへ》つて来ずには置かないやうな気がした。
かれはもう不動
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