庇《ひさし》が落ちてゐるやうな寺に、誰が女房になりに来るものがあるであらうか。「とても来手《きて》はねえな。すたり者のねえツていふ女《あま》つ子《こ》だ。誰が物好きにあんな寺に行つてさびしい思ひをするものがあるもんか。」かうそこから出て来た婆さんは笑ひながら言つた。
 世話人は猶《なほ》いろ/\なことを婆さんから聞いた。誰もたづねてくるものはないか。郵便は来ないか。又誰か訪《たづ》ねて和尚は行きはしないか。――その答はすべて No ! であつた。
 ある日、世話人は二人して出かけた。一人はかれを都から此処に伴《つ》れて来たものであつた。かれ等は庫裡《くり》から入つて行つた。婆さんに出て行かれたかれは、ひとりぽつねんとして庫裡《くり》にゐた。かれはひとりで土鍋《どなべ》に飯を炊《た》いて食つてゐた。
「何うも世話をするものがなくつてお困りでせう?」
 かう一人が言ふと、
「いや――」
「何うも矢張、お寺はさびしいと見えて、落附いてゐるものがなくつて困りましたな。」
「いや――」
「さぞ御不自由でせうな。」
「いや、別に……」
 鬚《ひげ》の深く生えたのを剃《そ》らうともせずに、青白い肌膚《はだ》の色をその中から見せて、さびしげにかれは笑つた。
 世話人達が齎《もたら》して来た話を聞いた時には、かれは何等の答をも与へなかつた。
 かれは唯笑つた。それも快活に笑つたのではなく、にやにやと笑つたのでもなく、反抗的に冷かに笑つたのでもなく――唯、笑つた。
 暫くしてかれは言つた。
「まア、暫く、かうやつて、落附かせて置いて下さい。……イヤ、世話するものなぞはなくつても好《よ》う御座んすから。」
「でも、相応なのがあつたら、一人お貰ひになる方が好う御座いませう。貴方だつてまだお若いんだから。」
「まア、その話は、もう少し先に寄つてからにして戴きませう。」
 それより他に何も言はないので、世話人達は止むを得ずに引返した。

 世話をする婆さんももうやつて来なかつた。かれは一人でその廃寺の中に埋れたやうにして住んだ。
 小さな土鍋、一つの茶碗に一つの味噌椀、皿はところどころ欠けたのが二三枚あつた。腹が減ると、かれは立つて行つて、七輪に火を起した。
 時には以前の生活がかれの心に蘇《よみがへ》つて来た。新しい思想のチャンピオンであり、「恐ろしい群」の第一人者であり、デカダンの徒の一人
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