》もその「偶然」で解釈された。考へて不思議の境《さかひ》に至ると、「これも偶然の事実だ。」と考へて、そして片を附けた。時には内心に不満足を感じ、余りに疑惑の伴はない薄い心を感じたこともないではなかつたけれど、それ以外に、その「偶然」以外に何う解釈して好いかわからないので、有耶無耶《うやむや》の中にその不思議な心理を抑塞《よくそく》した。
それに、その「偶然」と考へる処に、あらゆるものを「無意味」にして了《しま》ふところに、一種微妙な科学の権威があつた。また肯定された科学の不思議があつた。敢《あへ》て深く入つて行かないところに、勇ましい男らしさと誤りのない精確さとがあつた。知らないものは知らないものとしてこれから研究しよう、報告しよう、知らないものを知り得ると考へるやうな危険な直覚は成るたけ避けよう。かう考へたところに、「偶然」の価値があるのであつた。しかしかれがこれに不満足を感じ出したのはもう余程前のことである。女と子供の溺死体を見た以来のことである。……突然かれの心は内から外に向つた。墓があらはれて来たのであつた。
要垣《かなめがき》の緑葉《みどりば》に囲《かこま》れた墓があるかと思ふと、深い苔蘚《こけ》に封じられた墓が現はれて来た。新しい墓もあれば、古い墓もある。或は五輪塔型、或は多宝塔型、其他いろ/\な型がある。或は倒れてゐるのもあれば、長い間の風雨を平気で凌《しの》いで来たらしいのもある。中にはその墓石の表面に仏像が刻まれてあるものなどもあつた。かれは立留つて一つ一つその墓を撫《な》でて行きたいやうな気がした。
かれは茫然《ぼうぜん》として立尽した。
このかれの立つてゐる向うに、深い深い草藪があつて、その中に黒い暗い何年にも人の入つて来たことのない古池が湛《たゝ》へられてあつた。そこには雲の影も映らなければ、日影も滅多《めつた》にはさして来ない。しかも人知れず埋《うづも》れたその池の中にも、生物は絶えずその生と滅とを続けてゐるのであつた。夜は蛙《かはづ》の鳴く声が喧《やかま》しくそこからきこえた。
八
新しい住職の世話をするために来た婆さんは、始めの一人は十日ほども経《た》たない中に、世話人の許《もと》に行つた。
「国から急病人があると言つて来たもんですから。」
かう言つて、二三日の暇《ひま》を貰つて行つたが、日限が来ても、その婆《
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