この作は、『蒲団《ふとん》』などよりも以前に構想したものであるが、『生』を書いてしまい『妻』を書いてしまってもまだ筆をとる気になれない。材料がだんだん古く黴《かび》が生えていくような気がする。それに、新しい思潮が横溢して来たその時では、その作の基調がロマンチックでセンチメンタルにかたよりすぎている。『生』『妻』と段々調子が低く甘くなっていっているのに、またこのセンチメンタルな作では、どうもあきたらないというような気がする。また、それでぐずぐずしているうちに一年二年は経った。
 しかし、日記を繙《ひもと》いて見ると、どうしても書かずにはいられない。そこには一期前の現代の青年の悲劇がありありと指すごとく見えている。で、そんな世間的のことは考えずに書こう。ロマンチックであろうが、センチメンタルであろうが、新しい思潮に触れていまいが、そんなことは考えずに書こう。こう決心して、それからK氏――小林君の親友のK氏を大塚に訪問し、手紙を二三通借りて来たりして、やがて行田に行って、石島君を訪ねた。
 石島君は忙しい身であるにかかわらず、私にいろいろな事を示してくれた。士族屋敷にも行けば、かれの住んでいた家の址にもつれていってくれた。
 で、その足で、熊谷町まで車を飛ばした。例の用水に添った描写は、この時に写生したものである。それから萩原君を、町の通りの郵便局に訪ねた。ちょうど、執務中なので、君の家の泉州という料理屋に行って待っていた。萩原君はそこの二男か三男で、今はH町の郵便局長をしているが、情深い、義理に固い人であるのは、『日記』の中にもたびたび書いてあった。その日はそこでご馳走になって、種々と小林君の話を聞き、また一面萩原君の性情をも観察した。
 女たちのほうの観察をもう少ししたいと思ったけれど、どうもそのほうは誰も遠慮して話してくれない。それに、その女たちにも会う機会がない。遺憾だとは思ったが、しかたがないので、そのまま筆をとることにした。
 六月の二日か三日から稿を起こした。梅雨の降りしきる窓ぎわでは、ことに気が落ちついて、筆が静かな作の気分と相一致するのを感じた。そのくせ、その時分の私の生活は『田舎教師』を書くにはふさわしくない気分に満たされていた。焦燥《しょうそう》と煩悶《はんもん》、それに病気もしていて、幾度か書きかけては、床についた。
 しかし、八月いっぱいに
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