留吉は、不幸な帽子を手に持って歩いているうちに、たいへん腹がへってきました。
「民衆食堂一食金十銭」と書いてある西洋館がありました。留吉は、そこへ這入《はい》っていって、隅っこのあいた椅子《いす》に腰かけて、帽子を卓子《テーブル》の上へおきました。
 十銭の食事が終ると、留吉は帽子を椅子の下へかくして、何食わぬ顔をして、出てきました。「君の帽子だろう」あとから食堂を出てきた車屋さんが、すっぽりと留吉《とめきち》の頭へ、帽子は[#「は」に「ママ」の注記]はめてしまいました。
 留吉は、長い間こがれていた都を見物することも、何か仕事を見つけることも、また昔のお友達を思出《おもいだ》すことも忘れてしまったように見えました。ただもう、どうして、この不幸な帽子と別れたものかと、その事ばかり考えて、知らない街を通《とおり》から通へと歩きつづけるのでした。
 日が暮れて街の人通《ひとどおり》が少《すくな》くなった時分に、留吉は街はずれの汚い一軒の安宿を探しあてました。
「今度はうまくいったぞ」留吉は、宿の二階の窓から、裏の空き地へ帽子を投出しました。それで安心して、その夜はぐっすり眠ってしまいました
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