を言うのを忘れていた。
「葉子さんおはよう!」光子はわざと意地悪く葉子の前へ突立《つった》ってお辞儀をした。そして「葉子さん、今日は廻《まわ》り道をしていらしたのね」
と光子は科《とが》めるように言った。葉子は日頃《ひごろ》から意地の悪い光子が好きでなかった。
「ええ」と葉子はおとなしく答えた。
森先生は、葉子のリボンをなおしてやりながら、
「葉子さんのお宅《うち》は山の方でしたねえ。お宅の近所の野原には沢山に草花が咲いていてどんなにか好《い》いでしょうね」
「先生はあんな田舎《いなか》の方がお好きですか」
「ええ、毎日でもゆきたいと思いますわ」
「先生、私の宅へいつかいらっしゃいましな。そりゃあ綺麗《きれい》な花があるの。だって、葉子さんのお宅の庭よかずっと広いんですもの」
光子が勢《いきおい》こんで言ったけれど、誰《だれ》もそれには答えなかった。
3
つぎの日も、そのつぎの日も、葉子《ようこ》は森先生を橋の上で待合して学校へ行った。けれどノートの事については何にも仰有《おっしゃ》らなかった。葉子もそれをきこうとはしなかった。
光子《みつこ》は葉子が先生と一緒に学校へ来るのが妬《ねたま》しくてならなかった。その週間も過ぎて、つぎの地理の時間が来た。
葉子が忘れようとしていた記憶はまた新しくなった。葉子は、おずおずと先生の方を見た。先週習ったところは幾度となく復習して来たから、どこをきかれても答えられたけれど、先生は葉子の方を決して見なかった。そして光子に向って、
「巴里《パリー》はどこの都ですか」とお訊《たず》ねになった。すると「佛蘭西《フランス》の都であります」と光子が嬉《うれ》しそうに答えた。
地理の時間が終ると、運動場《うんどうば》のアカシヤの木の下へいって、葉子はぼんやり足もとを見つめていた。何ということなしに悲しかった。
「葉子さん」そう言って後《あと》から葉子の肩を軽く叩《たた》いた。それは葉子と仲好《なかよし》の朝子《あさこ》であった。朝子は葉子の顔を覗《のぞ》きこんで「どうしたの」ときいた。
「どうもしないの」そういって葉子は笑って見せた。
「そんなら好《い》いけど。何だか考えこんでいらっしゃるんですもの、言って好いことなら私に話して頂戴《ちょうだい》な」
「いいえ、そんな事じゃないの、私すこし頭痛がするの」
「さう、そりゃ
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