だ。
あなたはもとの子供であった。
「母様」
と夢心地であなたは静かに言った。声はまだ眠そうだった。母様は聞きつけなかった。母様はやはり離れで笑いながら坐《すわ》っておいでなされた。針の手は鈍って縫物が膝《ひざ》からすべり落ちそうであった。
あなたの母様は世界で一番優しい人、あなたはその母様の秘蔵っ子であったことを、今こそ知っては居るものの、あなたはその時まだそれを知らなかった。
母様の庭で、母様の膝の上で、母様の手に抱かれて、母様の頬《ほお》にあなたは両手をあてながら、母様の眼《め》の藍色《あいいろ》の床しさをあやしみつつ見詰めた。そして情あふれる母様の声を嬉《うれ》しくきいた。
「可愛《かあ》いい坊や」
「え」
「私の大切《だいじ》な大切な可愛いい坊や」
といって母様はあなたを胸に抱きよせて、頬ずりをなさる。
「何日《いつ》かねえ、このお庭で、この離れで母様は坊やの夢を見たのよ」
「坊やの夢を? えッ母様」
「ああ坊やの。恰度《ちょうど》この庭でね、そこの月見草が花盛りで鳥が鳴いて居たの。母様は、坊やが小さな赤ん坊だったところを夢に見たの。ああ、その時に風は月見草の花に歌
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