って仕舞うねえ」
と母様は低い声で仰言ったけれど、あなたはそれをきき逃さなかった。そして小さい全精神をあげて荒木夫人を憎んだ。ついにその奥さんの勘定日が来て、奥さん自身やって来た。母様は庭に居て聞きつけなかった。あなたは自分で挨拶《あいさつ》に出た。
「母様には、今日は、逢《あ》えやしないよ」あなたがしゃちこばっていうと
「それは変ですねえ」と荒木夫人は一足進んで言った。
「駄目だい」あなたは力一杯にドアにつかまって、声を張りあげた。
「駄目だよ。這入《はい》っちゃいけないよ」
「おせっかいだっちゃありゃしない」荒木夫人は、威《おど》しつけるようにいったけれど、あなたは、めげずに睨《ね》めつけて、声を張りあげ、
「もう、僕の母様にゃ逢《あ》えやしないよ」
と断乎《きっと》して繰りかえした。
「何故《なぜ》ですか? 承りたいものですが」と荒木《あらき》夫人はみるみるふくれあがった。
「いったい如何《どう》してなのです? それを聞きましょう」
「何故って、父様がいない時には母様の面倒を坊やが見てあげるんだい。母様が逢いたくないような奴《やつ》に母様がいじめられないようにしろって父様が言ったんだもの」
文句が長かったので、一息でいってしまうのは大抵の事ではなかった。
荒木夫人は干からびたような嘲笑《わらい》を洩《もら》して
「ああそういうんですか? それでお前さんは、何故お前さんのお母様が私に逢いたくないのか、その訳を知っていなさるかえ?」
「だって――母様、そう言ったもの!」
あなたの言ったことはきれぎれで恰度《ちょうど》「いろは」の御本を読むようだったので、荒木夫人は呑込《のみこ》めなかったかもしれなかった。
しかし、兎《と》に角《かく》、うまく行った。荒木夫人は火のように怒って、鼻息を荒くしながら、裾《すそ》を蹴返《けかえ》して帰って行った。
「もう決して決して」といって、門の戸をピシャリと閉めた。
あなたは静かにドアをしめた。
戦《たたかい》は勝てり!
あなたは庭へ引返した。
「もう済んだ、もう済んじゃった。」
「何がもう済んだっての、坊や」
「荒木の奥さん」とあなたは答えた。
こんな風にあなたは母様に尽した。母様はますますあなたを可愛《かあい》がり、あなたもますます母様に尽したのでした。この日頃《ひごろ》あなたは病気ではあったものの、なお且
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