を、すぐ私《わたし》どもはきヽつけました。五十三|次《つぎ》の絵双六《ゑすごろく》をなげだして、障子《しやうじ》を細目《ほそめ》にあけた姉《あね》の袂《たもと》のしたからそつと外面《とのも》をみました。
四十ばかりの漢《をとこ》でした、頭《あたま》には浅黄《あさぎ》のヅキンをかぶり、身《み》には墨染《すみぞめ》のキモノをつけ、手《て》も足《あし》もカウカケにつヽんでゐました、その眼《め》は、遠《とほ》い国《くに》の藍《あを》い海《うみ》をおもはせるやうにかヾやいてゐました。棒《ばう》のさきには、鎧《よろい》をきたサムライや、赤《あか》い振袖《ふりそで》をきたオイランがだらりと首《くび》も手《て》をたれてゐました。
漢《をとこ》は自分《じぶん》のかたる浄瑠璃《じやうるり》に、さも情《じやう》がうつったやうな身振《みぶり》をして人形《にんぎやう》をつかつてゐました。
赤《あか》い襠《しかけ》をきた人形《にんぎやう》は、白《しろ》い手拭《てぬぐひ》のしたに黒《くろ》い眸《ひとみ》をみひらいて、遠《とほ》くきた旅《たび》をおもひやるやうに顔《かほ》をふりあげました。
…………奈良《なら》の旅籠《はたご》や三輪《みわ》の茶屋《ちやや》…………
五|日《か》、三|日《か》夜《よ》をあかし…………
と指《ゆび》おりかぞえ
…………二十日《はつか》あまりに四十|両《りやう》、つかひはたし
て二|歩《ぶ》のこる、金《かね》ゆへ大事《だいじ》の忠兵衛《ちゆうべえ》さ
ん…………
といつて、傍《かたは》らに首《くび》をたれた忠兵衛《ちゆうべえ》をみやつたガラスの眼《め》には泪《なみだ》があるのかとおもはれました。
…………科人《とがにん》にしたもわたしから、さぞにくかろう
お腹《はら》もたとう…………
思《おも》ひせまつて梅川《うめかは》は、袖《たもと》をだいてよろ/\よろ、私《わたし》の方《はう》へよろめいて、はつと踏《ふ》みとまつて、手《て》をあげた時《とき》、白《しろ》い指《ゆび》がかちりと鳴《な》つたのです。
私《わたし》は泣《な》きながら奥《おく》へはしりこみました。
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阿波鳴門順礼歌《あはのなるとじゅんれいうた》
ふる里《さと》をはる/″\
こヽに紀三井寺《きみいでら》
花《はな》の都《みやこ》も近《ちか》くなるらん
「お鶴《つる》は死《しな》ないんですねえ、母様《かあさま》」
「さいなあ、阿波《あは》の鳴門《なると》をこえて観音様《くわんのんさま》のお膝許《ひざもと》へいきやつたといのう」
「でも、お鶴《つる》はお祖母様《ばあさん》の手紙《てがみ》を母様《かあさま》にみせたの」
「さいなあ、お鶴《つる》の母御《はヽご》は、その手紙《てがみ》をお鶴《つる》の懐《ふところ》からとりだして読《よ》みながらよみながらお泣《なき》やつたといのう」
「母様《かあさま》、お鶴《つる》は死《し》んだの」
「なんの、死《し》ぬものぞいの。お鶴《つる》は観音様《くわんのんさま》のお膝許《ひざもと》へいつたのやがな」
「母様《かあさま》、お鶴《つる》はなんて言《い》つて歌《うた》つたの」
賽《さい》の河原《かはら》で砂手本《すなてほん》
一ツつんでは母《はヽ》のため
二ツつんでは父《ちヽ》のため
三千世界《さんぜんせかい》の親《おや》と子《こ》が
死出《しで》の旅路《たびぢ》をふだらくや
あすの夜《よ》たれか添乳《そへぢ》せん
「か……母様《かあさま》」
「なあに」
「お……お鶴《つる》は死《しな》ないんですねえ」
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母《はヽ》
二人《ふたり》の少年《せうねん》が泊《とま》つた家《いへ》は、隣村《りんそん》にも名《な》だたる豪家《がうか》であつた。門《もん》のわきには大《おほ》きな柊《ひいらぎ》の木《き》が、青《あを》い空《そら》にそヽりたつてゐた。
私《わたし》どもは柱《はしら》や障子《しやうじ》の骨《ほね》の黒《くろ》ずんだ隔座敷《ざしき》へとほされた。床《とこ》には棕梠《しゆろ》をかいた軸《ぢく》が掛《かヽ》つてゐたのをおぼえてゐる。
「健作《けんさく》の母《はヽ》でございます。学校《がつかう》ではもう常住《じやうぢう》健作《けんさく》がお世話様《せわさま》になりますとてね」
とお母様《かあさま》は言《い》はれて、私《わたし》の顔《かほ》をしみ/″\情《なさけ》ぶかい眸《ひとみ》でみられた。
私《わたし》は眼《め》をふせて、まへにおかれた初霜《はつしも》の皿《さら》の模様《もやう》へ視線《しせん》をやつてゐました。
「まあ」
と、思《おも》ひもかけぬ声《こえ》におどろいて、
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