まいが、背景も繪なら、人物も悉く繪なのだ。どうしてとつたものかその人物も悉く、輪廓の線の太い、描いたやうながつしりした背景にしつくりあてはまつてゐるのだ。これを見ると深山幽谷や風光明媚の地へわざ/\出かけて通俗な背景を作ることよりも、人工的なこの背景の方がどの位|效果的《エフエクチープ》だかわからない、つまり自然そのもの、寫眞よりも描いた背景の方が、ずつと本物らしく、感じが深いと言へる。人物の動作にしても、わかりきつた筋書を、さも尤もらしく、大の男が商賣、とは言ひながら、徒らにせか/\と運んでゐるのは馬鹿々々しい。捕るにきまつた山の中へ哀れな少女が出かけると、ちやんとそこには舞臺でおなじみの、觀客諸君にもかねてお馴染みの惡漢が、突然實に偶然らしく、ちやんときまつて表はれる從來の活動に比べると、表現派の方は、偶然や當然は通り越した必然さを持つて表はれる。尤も登場人物が狂人だから、役所の役人の椅子が馬鹿げて高く作つてあつたり、建築物が往來へ傾いてゐたり、空が三角形の破片で光つたりするが、この狂人の幻想が狂人の幻想でなく、やはり我々の中にある感覺にどこかしらぴつたりと入つて來て、自分も畫中の
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