いくらかは水に濡れるにしても、坂を走つて來た勢を止めずにいつそ飛こんだ方がよかつたのかも知れない、と後で思つたことだが。
 さて、抱きとめられたN君も、淵に立つて水の勢ひを見るとさすがに二の足をふんだものか、當惑した顏を見合した。水の淺い時は、山の人たちは、徒渉るのと見えて大きな岩が川の中に並んでゐる。向岸の水際に破れた檜笠と草鞋が半足ある、そいつが馬鹿に陰氣に見えるのだつた。こゝを渉らうとして溺死した人間を想像させる哀れな姿《ポーズ》をしてゐるのだつたから。
「どうせう」
「まづぼくが瀬ぶみに飛んで見よう」
「ちよつと待ちたまへ」
 自分はさう言つてN君を制して、二三間川下の岸に立つてゐるねむの木を見つけた。昔、讀本でよんだ古智に傚つて、その木へ登つていつた。ところが靴だもので、うまく登れない上に、その木がまたひどく細いので五六尺登つた所で、川の上へしなつてしまつた。今一尺先へ進んだら、多分川の中へ落ちさうに、ぶらつとしなつたのだ。
 往來で轉んだ人が見られはしなかつたかと氣兼するやうに、N君の方へ見返ると、N君は笑つてゐる。
 川のまん中で考へて見ると、たかゞ、丈のたゝないほどの川
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