心した。今でも藤島氏は、尊敬もしてもゐるし、日本でほんたうの美人畫のかける人はあの人だとおもつてゐる。
ある時、銀座の夜店で、獨逸の「シンビリシズム」といふ雜誌を買つて、複寫のすばらしい繪を手に入れた、その山の畫はよかつた。今おもふとたしか、あれは、イタリアのセガンチニイだつたらしい。これにくらべると、その頃評判だつた「白馬山の雪景」や「曉の富士山」なんか影がうすくてとても見られないと思つたが、これもやつぱり誰にも言はないでゐた。
そんなことが獨學者には何かと不便が多かつた。セガンチニイは今でこそ日本のどんな畫學生でも知つてゐるが、その頃はたづねる友人もなかつた。その頃「ステユデイオ」なんて雜誌はどうもきらひで、獨逸の「ユーゲント」の古本を横濱から買つてきては、好きな畫をさがしてゐた。ヴエラスケスやチチアンやダ・ヴインチやミレーの畫集のシリーズが手に入るやうになつてから、非常に心強くなつてきた。といふのは日本のエライ人の中でも、ほんとうに尊敬出來る人と、エラクもなんともなくて、たゞ世間でエライ人があることがわかつたからだ。何故なら、外國のエライ人は、日本のエライ人よりも、ほんたうの
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