つて訪ねていつた。先生は私の畫を見て、
「私にはわからない、これは岡田君の許へいつたら參考になる話が聞かれるだらう」と言ふのだ。
畫というのは、關口の水車場を描いた「ブロークンミル・アンド・ブロークンハート」(破れた水車と破れた心)といふので、暴風雨の翌日、水車場の水車が壞れて、そこへ水車場の主人が悲しさうな顏をして、水車を見てゐる圖だつた。
岡田三郎助氏はやはり私の畫をわかつてくれられた。私はその時、美術學校へ入つて正則に勉強したい希望を述べると、先生は言はれる。
「美術學校という所は、畫のABCを教へる所だし、生徒をみんな一様に育て上げるのだから君には向かない。向かないばかりでなく、折角君の持つてゐる天分をこはすかも知れない」
「それでは私は勉強しないでもエラクなれませうか?」私はさう言つて訊ねた。
岡田先生は「いや學校の生徒よりもつと勉強しなくてはいけない。自分の傾向に一番ふさはしいデツサンをしつかりやつて自分を自分で育ててゆかなくちやいけない」
「ではどうして、そのデツサンをやりませう」
「どこか自由な研究所へでもゆくと良い」
そんな事で、それから一年後か二年後だつたか
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