なくてならない背景でした。
 日本橋の兩仲通り、深川の富岡門前、坂本町、神田旅籠町から大時計のあたり、お成道はいまもおもしろいと思ひます。錦繪を賣る店も商賣になるものと見え、震災後はローマ字の商牌《かんばん》を屋根にあげ、店口は洋風に飾窓などつけてやつてゐます。隣がラヂオの店でその隣がポンプ屋、さうかと思ふと電氣屋の隣りに、昔ながらの黒燒屋が立派に營業してゐる[#「ゐる」は底本では「ぬる」]。百年の昔には、婦女子のために江戸の土産として一文か二文で賣つてゐた江戸繪が、いまは何千圓何萬圓の價を持つて商はれるのも不思議だが、黒燒屋が土藏にかしや札も貼らないで、ラヂオの店と並んでたつてゆくのも、おもしろい時代ではありませんか。
 妻戀坂から天神下、池の端七軒町から、團子坂、日暮里は、好きな街だつたが、いまわづかに七軒町が殘つたばかりだ。
 萬世橋から講武所を上つて、お茶の水橋から飯田橋、あの河岸と牛込見附の荷揚場はいまでもなか/\おもしろい所だ。「あたくし東京でこの道が一番好きです」と、ある婦人が言つたのを聞いて、私は、その婦人にしてこの砲兵工廠前の荷揚場のスケツチ畫風な面白味がわかるのかな
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