の人文科學史です。いろんないやな記憶さへ、自分を憐む材料にさへ役立ちます。
 少年の頃、鹽原の奧で桐の空の咲いた畑の端に腰かけて、電車の往復切符を、ポケツトから見出して、東京へ寄せる感傷的な詩をかいたことを思ひ出します。
 さてどこが好きなのか、何故好きなのか、理窟はありません。おそらく日本の國土も、異國の旅へ出たらこんな風に思ひ出されることでせう。
[#改頁]

     夏の街をゆく心

 少くも夏の街を享樂しようと思ふには、目的や約束があつてはいけません。といふのは、銀座のさえぐさへ寄つて絹のレースの肌着を買ひ、はいばらへいつて小菊を五帖買ひ、太郎の靴を三越へ註文して菊屋の※[#「○の中に五」、47−6]のかまぼこを買つて、明治屋でサーヂンだのチーズだのオートミール、バタ、マカロニ等等等を買ひ込んで、ついでに田屋へ寄つて、あの人の帽子を見立てたり、コテイのシヤボンも買はなければならぬほどしこたまプログラムを持つてゐては、ゆつくりアイス・クリームを呑む氣にもなれないではありませんか。
 しかし、腕時計をちよい/\見ては、プログラムをはかどらせて、電話で家から自動車を呼んで、事務的に
前へ 次へ
全94ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
竹久 夢二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング