選民のためのものであつたかといふ。
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「子を持つて知る親の恩」かういふ言葉でも、恩といふ字を苦勞といふ字に置きかへて考へると、實に尤もだとおもふ。
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「もう澤山だ」と思ひながら、明日になればまたその飯も食へば、苦勞のたねもつくる。
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結局結婚は一番氣のりのしない相手ときまるものだ。近代には「しやくにさはるから結婚してやるのよ」と、そのしやくにさはる相手と結婚した娘さへある。
こんなことを書いてゐると、また夕刊の特種に若い社會記者の來訪をうけさうだが、遠路御足勞には及ばない。人間も年とるとだんだん過ぎ去つた事しかいへなくなる。
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彼が彼女にまゐつてゐるといふことを、彼女が利用したからといつて、彼女に愛がないことを責めるのは、彼の方が無理だ。
○
娘よお前が求めてゐるものは一體何だ。さう訊かれて娘は答へることが出來ない。科學の必要なゆゑんだ。
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我慢して熱い湯に入ることを自慢する男のやうに、自分の亭主の不品行を我慢してゐることを自慢する妻を警戒せねばならない。
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今や彼も過ぎ去つた罪過を誇張してさへ話することは出來るが、この罪跡を具體的に話すには勇氣が要る。のみならず、彼女を幸福にもしないであらう。
彼は彼女に話す。
「おれはなんていま/\しい女に引つかゝつたものだらう。お前の高價な苦勞にくらべて、あの女涙のの何と涙つぱいものだつたか」
かういふ懺悔の形容は、時とすると彼女に寛容の心を増さしめる効果があるかも知れないが、しかし過ぎたことはいはぬに越したことはない。何故なら時とすると、それは彼女にとうの昔忘れてゐた嫉妬を再び思出させるかも知れない。彼の記憶は多く象徴的だが、惡いことに、彼女の記憶は實感的で何月何日何時何分とまでおぼえてゐるものだ。
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「さあ戸締をしよう、なんにも外から入らないやうに。そしてめいめいの寢床へしづかに眠らうよ」
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「苦勞をするがものはない」といつごろ氣がつくのを適當とするか。忘れものはたいてい終點まで來ないと思出さないものだ。
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右の手がしたことを左の手が知らないはずはないと、彼が力説するのは要するに理窟で彼女が彼のあばきたてたこと
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