をその通りにおとなしく承認したとしても、ヒステリツクに泣き出したとしても要するに彼が敗るのだ。
 委しくいへば、彼は言葉の理詰で自分の納まりのつかない激情をごまかして自分をなだめようとしてゐるのだ。たとへば
「何んぼ何でも、あんな男のどこをあたしがすきになれるか考へて御覽なさい。とるにも足りないあんな男を嫉妬するなんて、あなたの人格にかゝはりますわ」
 こゝで納まりをつけることが出來れば、彼は人格を高めると同時に不快な印象を一掃することが出來て二重の利益があるわけだ。それでも彼が納まらない顔をしてゐると見るや、彼女はとつておきのトリツクをだす。
「こんなにいつてもあなたはあたしを信じないのね、それぢやあなたはもうあたしを愛してゐないのね」
 彼女のこの逆説的巧妙な暗示に彼の構へがくづれたら家内安全。
         ○
 憎むことも出來ない。許すことはなほさら出來ない。
「ちきしやうどうしてくれよう」
 こんな風に下司な言葉で現はす方が、一番感情に直接でまた感じも出てくる。
         ○
 彼女の場合には運命の決定を意味する不貞が、彼の場合には煙草をのむほどのほんの日常の惡習慣に過ぎない。彼のこの惡習慣を改めることが困難な如く、彼女が今更に言葉を手段とするある復讐戰をはじめることも、ちよつと困難なことに違ひない。
         ○
 習慣の動機にもおもしろいのがある。いつかの新聞にあらゆる蟲類を食ふ男の記事があつた。子供の時彼の父親が「日本は人口が殖えて今に食料品が缺乏するだらう」といふのをきいて、國家のために蟲を食ふけいこをはじめたといふのだ。ちよつと笑へない。
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    春は飛ぶ

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指がまづそれと氣のつく春の土
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 これは最近「雛によする展覽會」のため、人形をつくる首を泥でこねた實感をうたつた句である。今年は春が早くきて庭の梅もくれのうちから蕾みそめて、雪がきたらどうすることかと心配しながらアトリエの窓から人形をつくりながら時折梅の枝を眺めやつたものだつた。しかし彼女はためらいながらも、氣まぐれな寒い日暖かい日を送り迎へながらも咲いた。季節のうつりかはりや、花の咲くけはひなどをこんな心持で觀察したり感得したりすることは近來のことだ。少年時代にはまるで美しい景色とか花とか注意を向けなかつたと
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