とには、その反動かして若い知識階級《インテリゲンチヤ》のうちには、反官僚的な面白い現象がある。學生の生活もひどく自由で社會問題に興味を持つてゐるものが非常に多いやうだ。
 A君。この通信にこんなことを書くつもりではなかつた。僕の京都の午砲のことを書きたいと思つたのだ。京都の街を歩くたびに思ふことが、この古い靜かな街が、大阪のやうに急進的にいろんな方面で膨脹した都會の影響を受けて、古い好いものが破壞せられてゆくのである。去年あたりまで高臺寺の靈山で打つてゐたドンは、その響のために古い建築物にゆるみが來るといふ理由でおやめになつて、此頃では、市の議事堂で、街の人たちが牛と稱してゐてるオーと云ふ素睛しく不愉快な音響を出す機械に代へられた。この音響の爲に此度は生きた人間の耳が、癒すことの出來ない程害せられてゐることを耳鼻科の醫師から聞いている。そしてこの機械に市は何萬といふ高いお金を出したのだそうだ。そんなことはどうでも好いが、この不愉快な音響の代りに寺々の鐘を撞いて欲しいことである。丁度フランスのアンゼラスの鐘のやうに、京の街々から鐘の音が鳴響く時、私達はこの靜かな街に住む幸福をどんなに深く感じるだらう。木屋町の倡家で「幾時頃だらう」とある客がたづねたら傍の舞姫は「待つてお居やすや」と言ひながら靜かに立つて露臺へ出て川向ふの寺を見てゐたが「お寺の門が閉つたさかい五時頃だすやろ」と言つたといふ。電車の停留所さへ毎日違ふ京都の街に一秒二秒を爭ふ正確な午砲の必要が何處にあらう。
 A君。私はほんたうに京都の街を愛してゐる住民の一人です。
         ○
 Sさん。
 たしか去年の夏大阪の柳屋でお目にかゝつて以來お目にかゝりません。あなたの東京の話やいたこや松岸の話も聞きたいと思ひながらまだ逢ふ時がないのを殘念に思つてゐます。京都の六月には何もこれと言つて書くやうな芝居もありませんでした。中旬に伊庭孝の一座と言ふよりは高木徳子の一團がと言つた方が好いかも知れませんが歌舞伎座へ來ました。チヨコレート兵隊以來フアストの惡魔以來、伊庭君の舞臺を知らない私も、徳子との噂も、演伎座のいきさつも風のたよりには聞いてゐたけれど、かうした旅先きでこんな芝居を見るのも不思議な氣がします。そして私は、徳子がアメリカの田舍を曲馬師のサアカスに加はつて俗受けの鄙《ひな》唄を歌つて踊つた時代をこそ見
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