出さずにはゐられないんだつて。』
[#ここで字下げ終わり]
嘘をつけ、この胸くその惡い狆ころめが! 忌々しいことを吐かしやがつて! なあに、これといふのもみんな傍妬《おかやき》からさ。どいつの差金だか、このおれが知らないとでも言ふのかい? みんな課長の仕業《しわざ》にきまつてゐる。あいつと來たら、このおれを不倶戴天の仇として恨んでやがるんだ――だもんだから事ごとに、おれを陷れよう陷れようにかかつてゐくさるのさ。それは兎も角、まだ一通ここに手紙があるから讀んでみよう。多分これを見たら事情《ことわけ》がはつきりするかも知れん。
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『〔ma《マ》 che`re《シェール》〕(愛する友)、フィデリ樣、ずゐぶん御無沙汰したけれど許して頂戴ね。あたしこの頃すつかり有頂天になつてたのよ。何とかいふ小説家が、戀は命から二番目のものだつて言つてるの本當に至言だと思ふわ。それにねえ、今お邸の樣子がすつかり變つてしまつたの。この頃は例の侍從武官が毎日いりつぴたりなのよ。ソフィーさまつたら、あの侍從武官に首つたけなんですもの。お父さまも上々の御機嫌なのよ。お邸にグリゴーリイといつて、床《した》を掃きながら大抵いつでも獨言《ひとりごと》をいつてる下男がゐるの、それの口裏から推量したんだけれど、どうやら近いうちに御婚禮がありさうだわ――何しろ旦那さまは常々、是が非でもソフィーさまを將官か、侍從武官か、それとも大佐くらゐのところへお輿入がさせたい御意向だつたのだからさ……。』
[#ここで字下げ終わり]
えい、勝手にしやがれ! おれはもう、とてもこんなものは讀む氣がしない……。何かといへば、やれ侍從だの、やれ將官だのと、聞きたくもないや。ちよつと好ささうなものは何から何まで、みんな侍從武官か將官の懷ろへころげこんでしまふのさ。こちとらが何かちよつぴり幸福《しあはせ》を見つけて、それを手に入れようと思ふと、すぐに侍從だの將官だのが横合から掻つぱらつてしまやがる。忌々しいつたらありやしない! おれも將官になりたい、將官になつて聟の口にありつかうなんて、そんなさもしい下心からでは更々ないが、ただ、おれが將官になつたら、さぞかしあの連中が寄つてたかつて世辭追從や繁文褥禮の限りをつくすだらうから、その醜態が見てやりたいのと、へん、吾輩は君たちなんぞに鼻汁《はな》もひつかけんぞと反り
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