についてのいろんなでたらめな作り話をしたものである。彼のいる下宿の主婦で七十にもなる老婆の話を持ち出して、その婆さんが彼をいつも殴《ぶ》つのだと言ったり、お二人の婚礼はいつですかと訊ねたり、雪だといって、彼の頭へ紙きれをふりかけたりなどもした。しかし、アカーキイ・アカーキエウィッチは、まるで自分の目の前には誰ひとりいないもののように、そんなことにはうんともすんとも口答え一つしなかった。こんなことは彼の執務にはいっこうさしつかえなかったのである。そうしたいろんなうるさい邪魔をされながらも、彼はただの一つも書類に書きそこないをしなかった。ただあまりいたずらが過ぎたり、仕事をさせまいとして肘《ひじ》を突っついたりされる時にだけ、彼は初めて口を開くのである。「かまわないで下さい! 何だってそんなに人を馬鹿にするんです?」それにしても、彼の言葉とその音声とには、一種異様な響きがあった。それには、何かしら人の心に訴えるものがこもっていたので、つい近ごろ任命されたばかりの一人の若い男などは、見様見真似で、ふと彼をからかおうとしかけたけれど、と胸を突かれたように、急にそれを中止したほどで、それ以来この
前へ 次へ
全77ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平井 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング