も道理、祖父は他ならぬ我が家の屋の棟に投げ出されてゐたのぢや。
 地面へ降り立つと、祖父は十字を切つた。なんといふ悪魔の所業ぢやらう! 飛んでもない、なんといふ不思議な目に遭つたことぢやらう! 両の手を見れば、すつかり血だらけ、水を張つた桶を覗いて見れば、顔も同じやうに血だらけなのぢや。子供たちを吃驚させるでもないと思つて、丁寧に顔や手を洗つて、祖父はこつそり家のなかへ入つていつたが、見ると、こちらへ背を向けて後ずさりをしながら子供たちが、怖ろしさうにむかふを指さして『あれ! あれ! お母《つか》さんが、きちがひみたいに踊つてるよ!』といふ。なるほど、見れば、麻梳《あさこき》を前にして、紡錘《つむ》を握つた女房が、ぼうつとして腰掛に坐つたまま、踊つてをるのぢや。祖父はそつとその手を掴んで、妻を揺りさました。『これ、今帰つたぞ! お前どうかしやせんのかい?』祖父のつれあひは長いあひだ、眼を瞠つたまま、きよとんとしてゐたが、やつと良人の姿に気がつくと、煖炉《ペチカ》が家のなかぢゆうを歩きまはつて鋤や壺や盥を戸外《そと》へ追ひ出しただの……なんだのと、さつぱり辻褄のあはぬ夢を見てゐたのだと話
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