た手足は、今にも知覚を失つて、ぐんなり弛《たる》みさうになり、頭が前へこくりと落ちる……。※[#始め二重括弧、1−2−54]いや、こいつは眠入《ねい》つてしまひさうだぞ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]さう言つて、彼はしやんと立ちあがると、やけに眼をこすつた。彼はあたりを見まはした。夜が彼の眼にひときは荘麗なものに映つた。一種不可思議な、うつとりさせられるやうな輝やきが、月の光りに加はつた。彼はこんな光景をこれまで一度も見たことがなかつた。銀いろの靄があたりにたちこめてゐた。花をつけた林檎の樹や、夜ひらく草花の匂ひが地上に隈なく充ち溢れてゐた。彼はおどろきの眼を見張つて、動かぬ池の水を眺めた――さかさまに影をうつした古い地主|館《やかた》は、水のなかにくつきりと、ある明快荘重な趣きを現はしてゐた。陰気な鎧扉ではなしに、陽気な硝子窓や戸口が顔を覗けてゐた。清らかな窓硝子ごしにピカピカと金色のいろがきらめいた。と、あたかも窓の一つが開いたやうな気配がした。じつと息を殺して、身動きもせずに池を見つめてゐると、いつか彼はその水底へ引きこまれてしまつたやうな想ひがする。と見れば、白い臂《ひぢ
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