つてゐる。
「もう直きのおつもりですかい?」と、村長は蒸溜人《こして》の方へ向き直つて、欠伸の出かかる口へ急いで呪禁《まじなひ》の十字を切りながら言つた。「その酒蒸溜場《さかこしば》を開きなさるのは?」
「都合さへよければ、この秋ごろから醸造《つく》りはじめられるだらうと思ひますんで。聖母祭にやあ、村長殿が千鳥足でもつて往来に独逸風の輪麺麭《クレンデリ》の形を描かれることは、まづ賭をしてもようがすて。」
かう言つた時、蒸溜人《こして》の両眼は影をひそめて、その代りに真一文字に左の耳から右の耳まで一筋の横皺が寄り、その胴体は笑ひにゆすぶられて、一瞬のあひだ、彼は煙のたちのぼる煙管《パイプ》を、その愉快さうな唇《くち》から離した。
「どうか、さうあらせたいものぢやて。」と村長が、微笑に似たやうな表情を顔に浮かべながら言つた。「それでも、この節ぢやあ、好い塩梅に、少しは造り酒屋も出来たにやあ出来ただが。むかし、わしが女帝陛下の供奉《おとも》をしてペレヤスラーヴリ街道を通つた時分にやあ、あの、死んだベスボローディコがまだ……」
「なるほど、さういへば想ひ出しますわい! あの頃にやあ、*クレメ
前へ
次へ
全74ページ中33ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
平井 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング