れの拳固の堅さを味はつて見くさるがいい!」
 かうまで言はれては、レヴコーも最早このうへ憤りを抑へてゐることが出来なかつた。二た足三足その男の方へにじりよるなり、渾身の力をこめて、そいつの横つ面に一撃を加へようとして拳しを振りあげた。その拳しにかかつては、如何に頑丈さうに見えてもその見知らぬ男は恐らくひとたまりもなく、立ちどころに打ちのめされたことだらう。ところが、ちやうどその時、月光がさつとこの男の顔を照らした。と、レヴコーはその場に棒立ちに立ちすくんでしまつた――眼の前に立つてゐるのは自分の父親ではないか。思はずかぶりを振つて、喰ひしばつた歯の隙間から微かに呻き声をもらしたのを見ただけでも、その驚愕のほどが察しられた。その時、一方ではさらさらといふ衣ずれの音がして、ハンナが急いで家の中へ身をひるがへすと、ぱたんと扉を閉めてしまつた。
「さやうなら、ハンナ!」この時ひとりの若者が忍び寄りざま、さう叫んで村長に抱きついたが――こはい口髭にぶつかると、胆をひやして後ろへ飛びすさつた。
「さやうなら、別嬪さん!」と、別の一人が叫んだ。しかし今度は村長の手ごはい肘鉄砲を喰らつて、どんでんがへしに、その場へ投げ出された。
「さやうなら、お寐み、ハンナ!」さう、口々に叫びながら、幾人もの若者が村長の頸つたまにぶらさがつた。
「退《ど》きやあがれ、この忌々しいきちがひどもめ!」と、村長は体を振りほどきざま、若者たちに足蹴を喰らはせながら怒鳴つた。「このおれが、汝《うぬ》たちにやあ、ハンナに見えるのかつ! この悪魔の忰どもめが、親爺の跡を追つて絞首台《くびしめだい》へあがる支度でもさらすがええ! 蜜にたかる蠅かなんぞのやうに、うじやうじやと喰らひつきやあがつて! ハンナなんぞ、幾人《いくたり》でも呉れてやるわい!……」
「村長だ! 村長だ! こいつあ村長だぞ!」さう叫び出すなり、若者たちは四方八方へ逃げ散つた。
※[#始め二重括弧、1−2−54]飛んでもない親爺だ!※[#終わり二重括弧、1−2−55]やつと驚愕から我れに返つたレヴコーは、悪態をつきつき立ち去つてゆく村長の後ろ姿を見送りながら、かう呟やいた。※[#始め二重括弧、1−2−54]なんといふ巫山戯た真似をする親爺だらう! まつたく呆れたもんだ! なるほど、さういへば、あのことを持ち出すたんびに、奴さんが聞いて聞かぬ振りを
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