と同様に、すつかりその後添の女房の手で尻尾を押へられてしまつてゐたのだ。そのやかましやの女房《かみさん》といふのは……。しかしわれわれはその女房《かみさん》が現在この荷馬車のてつぺんに乗つかつてゐることをつい胴忘れしてゐた。その女房《かみさん》は、ちやうど、貂の毛皮のやうに、色こそ赤いが、一面に植毛の施こされた、しやれた青い毛織の短衣《コフタ》の下に、将棋盤みたいな市松模様の、立派な毛織下着《プラフタ》を着こみ、更紗模様の頭巾帽《アチーポック》をかぶつてゐる。それが彼女のでつぷりした赤ら顔に一種独特のいかつさを添へて、何かかうひどく不気味で異様な風貌に見えたので、誰しも愕ろきの眼を、急いで陽気な娘の顔へと移さずにはゐられなかつた。
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寛袴《シャロワールイ》 土耳古風の寛闊なズボンで、我が国の山袴、かるさんに類するもの。
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 この一行の行手には早くも*プショール河が見えだして、まだ遠くから、清涼な河風がもう頬を撫でて、それが堪へがたい酷暑の後でひとしほと身に浸みるやうであつた。無造作にばら撒かれたやうに、草地の上に突つ立つ
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