あしどりのせゐでもない。さうした敬意の払はれる理由が知りたければ、眼を少し上へあげさへすればよい。荷車の上には丸顔の美しい娘がひとり坐つてゐた。黒いなだらかな三日月眉は澄みきつた栗色の眼の上にもたげられ、薔薇いろの唇には屈託のない微笑が浮かび、頭べにまとはれた赤や青のリボンは、長い編髪《くみがみ》や野花の小束と共に、彼女の蠱惑的な頭べの上に、華やかな王冠のやうに落ちついてゐた。何もかもが彼女の心を惹きつけるらしく、あらゆるものが彼女には珍らしく、目あたらしさうで……その美しい二つの眸は絶え間なく、次ぎから次ぎへと馳せうつつた。どうしてまた夢中にならずにゐられよう! 初めての定期市《ヤールマルカ》ゆきなのに! 十八娘の生まれて初めての定期市《ヤールマルカ》ゆきなのに!……しかし、彼女がどんなに父親にせがんで同行を納得させたかは、行き交ふ人々のうち誰ひとり知つてゐる者がない。もつとも父親は、根性まがりの継母さへゐなかつたら、二つ返辞で聴き入れたことだらうが、彼はまるで、永年のあひだこき使はれた挙句のはてに、お払ひ箱になるために、現に曳かれてゆく耄碌馬《まうろくうま》の手綱を自分が掴んでゐる
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