ながら、自分の長上衣《スヰートカ》の切れつぱしを拾ひあつめて歩くつてえだ。なんでも、今ぢやあ、もう左の袖口だけが目つからねえばつかりだつてえこんだ。それからこつち、誰ひとり怖気をふるつて近寄らねえもんで、ここに定期市《ヤールマルカ》が立たねえやうになつてから、かれこれもう十年にもなるべえ。だのに、その悪魔めが、今度はあの委員の野郎を抱きこみやあがつて……」
 かう言ひかけた言葉の半ばが語り手の唇のうへで消えてしまつた――窓が騒々しく打ち叩かれて、硝子が唸りを立ててけし飛んだ。そして物凄い醜面《しこづら》が、そこからにゆつとばかりに中を覗きこんで、まるで※[#始め二重括弧、1−2−54]皆の衆、いつたいここで何をしてゐなさるだね?※[#終わり二重括弧、1−2−55]とでも訊ねるやうに、じろじろと眺めまはした。

      八

[#ここから13字下げ、28字詰め]
……犬のやうに尻尾を巻き、カインのやうにわななきながら、鼻の孔から鼻水《みづ》をたらした。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から5字上げ]――コトゥリャレフスキイ『エニェイーダ』より――

 家のなかにゐた者はみんな恐怖に打
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